ハードボイルドになんて生きたことはない。ずっと柔に生きてきた。だが酒にまつわる仕事をするときだけは、ハードボイルドを気取ってやってきた。とてもハードに頑張ってきたのだ。
昨夜がそうだ。どうやらいろんな酒を飲みすぎたようだ。それだけはどうやらたしかだ。昨日のことを思い出してみる。
昨夜の酒場は鹿屋市本町の「わんこ飲(わんこいん)」だった。私とタニカツさん、同行者に東串良町地域おこし協力隊の山田智之さん、それにもうひとり加えて4人での鹿屋酒場探訪のスタートだった。

肝属川にかかる橋のたもとに、市街地を案内する古い看板が掛けられていた。この川はかつて日本で一番汚染が進んでいるとされていた。今では見違えるようにきれいになり橋も架け替えられ周辺も整備されたのに、この看板だけは旧いままだ。「酒楽愛ちゃん」とか「鰻料理鯉の巣」なんて、名前だけで暖簾を割ってみたいと思わせてくれる。とりわけ「愛ちゃん」には会ってみたい。店が存在しているとしたら、「愛ちゃん」はかなり年季の入ったベテラン女将だと想像はつくが。

残念ながら、地図の場所に最早その店はなかった。さてどうしたものかと思いにふけっていると、小さな路地の入口に猫が……。彼女に惹かれるように、そう牝だと目が合った瞬間から決めていた、路地の中に入った。時刻は18時前、開いている店は1軒だけだ。

中ほどに「わんこ飲」と控えめな看板が掛けられていた。暖簾などはない。サッシュの引き戸の向こうには明かりがついている。営業している。2間ほどの間口からすると奥行きが深くない限り、10人も入れば精々の広さだろう。カウンターだけの店かもしれない。
「どうします? 入ります?」
私は答える前に引き戸に手をかけた。
そこには不思議な空間がひろがっていた。
2人掛けの小さなテーブルと、7、8人も座れればいいテーブルが。それだけだ。店と厨房の境は壁ではなく、半分は入り口と同じくサッシュの引き戸、半分は今は物置となっているが、腰よりも高い位置に窓が。

風景に気を取られていると、目の前で男が笑っていた。
「いらっしゃいませ」
「いいですか?」
「どうぞどうぞ」
我々は中に招き入れられた。こうなると、ここがどんな店であろうが、ビールの一杯も飲まずには出られない。キョロキョロと店内を見まわしながら、席を決める。まるで挙動不審者集団だ。
「安い……」
連れのひとりが壁の張り紙を見て、呻くように呟いた。
生ビール 500円
瓶ビール 500円
焼酎1合 300円 2合 500円 5合瓶(キープ) 1500円
あては100円から……。チャージはなし。
つまり、焼酎2合と100円のあて2品で500円で帰れるのだ。「わんこ飲」とは「ワンコイン」のことだったのかと気づく。
ん!? ちょっと待て。向かいの店はまだ開いていなかったが、「わんこ」という名ではなかったっけか……。
「あれ、妹がやってんですよ。犬好きでね。あっちが開くまでとか、満席の時に待ってもらうのに」と迎え入れてくれた大将が。
つまりここはウエイティング・バーなのだ。だからかどうか、「開店時間は17時、閉店は21時と早仕舞いです」と大将は笑った。

それぞれ飲み物を頼み何かあてをと迷っていると、お通しが出てきた。ミートボールが2個とつけ揚げだ。しかも「これはいただきませんので」と。サービスなのだ。なんだ、これだけで飲めちゃうじゃないか。こんなことで商売になるのだろうか。でもうれしいな……。いろんなことを思ってしまう。
さらに壁の張り紙を見ながら逡巡する。ホワイトボードの〈本日のおすすめ〉に目が止まる。黒はんぺんフライ2枚300円。その向こうに日本酒を書き上げたボードも。そこにはあの磯自慢の名前も見える。静岡に何か所縁があるのかとたずねると、奥さんがその出身だという。じゃあとはじめに頼んだビールを磯自慢に変え、黒はんぺんフライを4枚注文する。磯自慢はおそらくこの店でいちばん高い1合1000円だ。

元々は立ち飲みだったらしい。ぐるりにカウンターを設え、客は背中を向け合って立って飲む。そのうちに立って飲むのは疲れるとか、背中を向け合って飲むのは愛想がないとか、さまざまな声が客の間から沸き起こり、カウンターを取り払い、テーブルを入れ、椅子を置くことになったと大将は自嘲した。その名残が壁の張り紙に見えた。
そう言えば鹿児島市内にも立ち飲みは多いが、ほぼどの店にも椅子が置かれ、座って飲んでいる客も少なくない。立ち飲みとは、すっと1杯ひっかけて、あるいは多くとも2、3杯で出て行くのが基本で長時間飲み続けるのは邪道だ。最近は椅子に腰掛け長っ尻で飲んで騒ぐような客も入いるが、そういう輩は硬派な立ち飲み客から「立ってられない中折れ野郎」と笑われていることを知っておくといい。「中折れ野郎」が悪ければ店の方針に従えない、あるいは店のあり方を無視した「わがまま客」「ジコチュウ客」で歓迎されない客だと言っておこうか。

山田さんが不思議な店の造りを大将にたずねた。
「ここは元々、ええ、立ち飲み屋の前は魚屋だったんですよ」
我々が座っているところが元の店先だ。
「店の前は壁も仕切りもなかったんですよ。それを飲み屋にしたので……」
魚屋の佇まいを残すなるほどの風景だった。大将によると、この本町あたりに中央市場があったそうだ。その名残を味わいながらということだな。次は往時のこの辺りの話を大将からゆっくり聞きたいと思った。

黒はんぺんはずいぶん前におでんで食べたことはあったが、フライははじめてだった。
これがうまいのだ。相方のタニカツさんも「うまいっ」とつぶやいていたし、同行者全員が納得の味だったようだ。
どうやらはんぺんというやつは油に馴染むようだ。フライにしてもあっさりしているし、日本酒にもあう。磯自慢のようなちょっとフルーティーですっきりした飲み口の酒には特にいいのかも。まあ、静岡名物に静岡の酒だから、それで自然なのかもしれない。
そこに常連らしき客が。大将と気さくに挨拶をかわしテーブルに。
「金曜日はカレーの日だけど、今日はカレーはないよ。グリーンカレーならあるけどね」
「じゃあ、それ」
飲み物の注文はなかった。食事だけに訪れる客もいるようだ。彼はさっさと済ませると、500円玉1枚を手渡して帰っていった。こういう常連も多いのだろうなと思わせるひとコマだった。あともう2、3品試してみたかったが、狭い店に4人連れで長居するのも申し訳ないので、早々に席を開けることにした。もちろん再度訪れることを約束して。

4人でビール2本(1000円)、ソフトドリンク2杯(400円)、磯自慢2杯(2000円)、黒はんぺんフライ4枚(600円)。ちょうど4000円(消費税10%込)の明朗会計。元々は立ち飲みでキャッシュ・オン・デリバリーだったから当たり前と言えば当たり前だが、それをうれしいと感じるのはそうでない店が多いことの裏返しかもしれない。そういう意味で鹿屋酒場探訪のスタートでこの店に出会ったことはラッキーだったのかもしれない。次はひとりで、もう少し長居したいなと思いながら店を出た。

時刻は19時を少しまわったところ。まだまだ宵の口だ。もう何軒か鹿屋の夜を彷徨うことにしよう。

文/清水哲男

わんこ飲
住所:鹿屋市本町5
営業時間:17:00-21:00(「めやすとして」大将談)

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